おじいちゃん、その話聞き飽きたわ~

思い出
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昔むか~し、少し前の話を言ってもいいかしら?

私が子供のころ、おじいちゃんが「昔はのぅ・・・」と切り出し、
いろんな話をしてくれました。

最初は「ふぅ~ん」と感心して聞いていましたが、
回を重ねると「またぁ、それ聞き飽きたわ」と、そっぽを向くのが
お定まりでした。

なのに今は、当時のおじいちゃんと同じように私も
「昔はなぁ~」と言ってみたいことが喉まで出てくるのです。

多分、齢を重ねてきて、未来よりも過ぎ去った時間の方が長く
重くなったからでしょうか。

話は高校を卒業する時までさかのぼります。

つまり、半世紀以上も前のことです。

世の中はまだまだ貧乏で、食べ物や着るものに不自由していました。

その頃、高校卒で有利に就職するには、
珠算と硬筆の級を持っていることが必須でした。

でも、私はそのどちらもないので、就職は無理だと自分で分かっていました。

では、どうするか?
進学するしかありません。

とは言え、国公立の大学に受かるだけの実力はないし、
親が学費を出してくれそうにもないので、
お金のかからない「学校」を選ぶ必要がありました。

そんなうまい話があるかな?と受験雑誌「蛍雪時代」で調べると、
ありました。
「速記者養成所」というのが。

ここに合格すれば学費は不要だし、そればかりか給料も
もらえるのです。

衆議院と参議院の2つがあって、とにかく東京まで出て行って
受検しよう、でも、1人じゃ心もとないというので
友達を誘って、上京しましたよ。

初めて見る東京はまぶしすぎて、「こんなところで働ければいいなぁ」と
テストを受ける前から合格後の設計図まで描いていました。

・・・が、みごと撃沈。2人そろって。

友達はさっさと諦めて就職しましたね。

でも、往生際の悪い私はまたもや「蛍雪時代」にかじりついて
次なる進学先を探しあてました。

「看護学校」。

なんと、学費不要、それに全寮制なので住まいの心配はいらず、
そればかりか食費もタダ。
制服(看護服)も支給されると書いてある。

「これは私のような貧しい家庭の子にピッタリ」と小躍りして受験。
京大医学部付属の看護学校でした。

これで不合格なら、家の農業をすればいいわ、と不貞腐れていました。

開き直っていた甲斐があってか? 郵送されてきたのは「不合格」の通知。

「仕方ないわ、力不足だもん」

でも、「うん? でも、但し書きがあるよ」
よく見ると「補欠2番」って書いてある。

はは~ん、せっかく合格した子が複数の進学先に合格したので、
こちらを捨て、もっといい学校によろめいたんだわ、と
羨ましがっていると、
来たんです、「補欠入学を許可する」って通知が。

捨てる神もありゃ拾ってくれるありがたい神もいらっしゃるんだと、
心底感じましたね。

こうして新天地・京都での勉学生活が始まりました。

約60年も昔の話です。

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